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美しい五月に、または14歳2ヶ月と12日。

別れはすぐそこまで来ている、という事は感じていた。
そんな気持ちを気遣うように、
最後まで心配させまいと
シェラは懸命にその日その日を戦い、
私たちはそれを見つめていた。
だから、
犬が生まれつき持っているであろう野性の「生」を
こいつは思う存分に全うしたのだなと思っている。
そしてそれは血液検査の数値にも現れていて、
異常なまでに高い数値を示された時、
シェットランドシープドッグという犬種の枠だけではとても計れない、
細くて小さなくせに精神的にタフな犬だという事を知った。
いや少し違うかもしれない。
私たちを気遣う強さを持っていた気高い犬、と言い換えてもいい。

別れは切ないが、
いつまでも立ちつくしたままでいいわけがない。
私たち残されたものが、
悲しみの中で日々を過ごすそれは、
なぜもう少し頑張れなかったのかと
シェラを鞭打つ行為となるからだ。
そう、私たちもタフでなければならない。

気を遣わせてすまなかった。
それが犬としての宿命だったとしても、
残される私たちを最後まで気遣いながら、
老いてもなお戦ってくれてありがとう。

楽しい14年間だった。
最高にいいヤツだったぜお前は。

ゆっくり眠ればいい。
お前が我が家にやって来てくれた
この美しい五月の中で。


経過メモ(記憶をたよりに)----------------------------------------------------------


昨年から眠る時間が多くなっていた。
特にこの冬は、
雪の中で遊んでいてもふいに眠ってしまう事もあり、
一日の大半を寝て過ごすようになっていて。
時々息苦しいような息使いをしながら眠るようになってきていた。
それでも元気に散歩はしていたが、
長くはあるけないので近くまでにしていた。

一ヶ月くらい前から
大好きなニボシや食パンををくわえようとするが、
ポロリと落とすことが多くなり、
今までならあわてて拾うのに拾わなくなってきた。
ドッグフードを与えても困った顔をして
自分から進んで食べようとはしないので、
手にのせて口に持っていったが、
やっと口に入れ弱々しく噛むようになっていた。
吐く事もあったがあまり気にとめる事でもないと思った。
散歩はせず、外の仕事場でブラッシングしたり
ほほをグリグリしたりして遊んでいたが、
ひとりでぼんやりフラフラしながら、
早く自分の部屋に帰りたいような感じだった。

朝ドアを開けても起きてこなくなってきた。
声をかけると、心配かけまいとゆっくりと起きてきたが
ぼんやりしているだけだった。
いつもごはんを与える場所に行ってはやくしろと催促はした。
でも、あいかわらず残すことが多くなってきていた。
夜中に水を飲む音が聞こえる事もあり、
いつもより水の減りが多くなったらしい。

もう最期かなと思い始めた妻は
昼間なかなか会えない私に会わせるために、
休日には山辺までシェラを連れてきた。
畑仕事をし始めると今までなら一緒についてくるのに
途中まで来てそこで立ち止まってしまい、
そのまま静かにこっちを見て、困っているというような感じだった。
近寄ってその場でいっしょに並んで同じ方を見ながら草の上に座ると
膝の上に前足を乗せてきてじっとしていたので、
なにか挨拶しているのだろうなと思った。
その後立ち上がって膝の上に腰掛けた。
というか、立ち上がったがよろけてしりもちをついたのだと思う。
抱きしめてやった。
いつもならいやがるのに黙っていた。
後ろから抱きしめながら
「今までほんとにありがと、ありがと」と何度も小さな声に出した。
またナイヤ食べようねとは言ったけど約束だからね!とは言えなかった。
シェラの足が温かくて嬉しかった。

しばらくすると。
大好きだったニボシやドッグフードは食べることができなくなって、
肉なら食べるのかと妻が焼いて与えるとおいしそうに食べたらしい。
しばらくはシェラだけ焼き肉が続いた。
焼き始めると匂いがするのか早くくれと吠えるようになったが、
消化不良なのか時々吐く事もした。
犬が吐く事はよくあることで草を食べたりすればすぐ良くなるのだが
いよいよそれとは違うように見えた。

そんな日がずっと続いていた。

17日
消化が悪いので肉も無理かなと思い、
赤ちゃんの時に与えていたペティグリーチャムに替えた。
本当においしそうにパクパクとなめるように食べていた。
食器が動いて食べにくそうだったので重い食器に替えた。

18日
もしかしたら顎の病気なのかと考え獣医に診せに行った。
すぐに血液検査をした結果、
腫瘍マーカが標準値の数倍も高い事に愕然とした。
GTP(標準17-78)567
ALP(標準47-254)465
GOT(標準17-44)108
エコーやレントゲンで見ると胃の辺に大きく肥大した部分があって
それが胃なのか肝臓なのか見る限りではわからないらしく、
高い数値の事を考えると、緊急に21日に開腹して見ることにした。
全身麻酔なのでこの年齢だし大丈夫なのかと獣医に問うと、
シェラの状態なら大丈夫ですよという返事だった。
大きな注射針で細胞を採取して検査する方法もあると教えてくれたが、
あの数値から考えると一刻の猶予も考えられなかったのだろう。
図を書きながらいくつかの種類の肝臓ガンに対する処置の方法と
切除しなければならない部分があったら様子を見てすぐ切除する
ということも話してくれた。
食事用のフードはとても小さな缶で、それを一日一缶。
四回に分けて与えること、残しても無理して与えないように。
という指示が出た。


その日の午後は部屋のドアを開けて
目の前の畑で仕事をしていても全く近寄ってこない。
部屋の隅でじっとこっちを見ていた。
ひとりでゆっくり葡萄園を見に行ってぼんやりと帰ってきた。
畑にいた妻を見に行ってもただ見ているだけだった。
夕食の後は玄関でたくさんたくさん話をした。

19日と20日
病院から支給された柔らかいわずかな食事を四回に分けて与えるが、
それすらも時々吐くようになっていたらしい。

21日
朝、妻がきれいにブラッシング。
午後から開腹手術。
夕方獣医より連絡があり、
開腹してみたところ、肝臓には全体にいくつかの浸潤が見られたが、
それはおそらく問題はないと思うが一応細胞を検査します。
レントゲンで見たあの変形した形は肝臓でも胃でもなく胆嚢だった。
胆嚢がかなり大きく腫れていて炎症をおこしていたが、
黄疸もでていないし年齢の事を考えそのままにして終了。
手術事態は開腹しただけの簡単なもので(約10センチぐらいだった)
体にあまり負担がかからないものだったから、
今は目をあけてキョロキョロしているので、二三日で帰れますよ。
でもあの数値は普通ではないので、
来週、生検の結果を見ながら今後の事を考えましょう。
というものだった。
心配だった麻酔や手術成功と言った獣医の明るい声に安堵はしたが、
はっきりとした原因が不明な分、もう長くはないという覚悟はできた。

22日
吐き気と脱水症状。
夕刻より息が苦しそうになったので点滴や注射をはじめた事が
カルテには書かれていた。
明日には早くおうちに帰してあげたいと思ったらしい。
おしっこはきちんと出ていたが薬の代謝が悪くなってきていたので、
その夜、獣医は泊まり込みで様子を見ていた。

23日
朝3時頃獣医が見に行くと座っていたらしい、
そしてそのまま座ったままで眠りながら静かに旅立った。
5時に見に行くとまだ座ったままのでおかしいなと思ったとのことだ。
この冬は雪の中でも立ったまま眠ることがあったから、
座ったまま眠るってシェラらしいと思った。
いったいどんな夢を見ながら旅立ったんだろう。

朝5時、獣医より連絡があり永眠を知らされる。

24日
通夜

25日
火葬


数日後、生検の報告を見ながら、
肝臓の細胞を調べた結果では肝臓ガンではなかったが
肝臓に異常があったからか解毒作用が悪かったのだと思う。
はっきりとした亡くなった原因はわからないが、
考えられる事として、
胆嚢がかなり大きく腫れていて炎症をおこしていた。
胆管の出口に障害があり胆汁の排泄がだめだったから胆管肝炎、
肝硬変の可能性がある。
また、これは憶測になるが膵臓も考えられる。
膵臓の場合は複雑な手術になるため不可能。
もしあのまま治療しなければ生きる可能性はゼロだった。
結果的にこうなってしまい申し訳ない。
という獣医の正直な言葉を聞いた。

長年つきあってきた信頼できる獣医で、
シェラ自身も、いくつかの修羅場を助けてもらった事は知っている。
娘が言うには、だからシェラは治療が終わって目を覚ました時、
ああまた助けてもらったと思ったのではないか。
犬というのはそういうもので人間より優しさの記憶力は高い。
そして、またいつものような吐き気や呼吸困難になった時に
今度は先生が看病してくれているのを見て嬉しかったのだと思う。
そして静かに座りながら眠った。

おそらく誰でも考えることだが、
あのまま何もせずにいたらもう少し長く、
せめて一、二週間は一緒にいられたかもしれない。
けれど、目の前でしだいに衰えていくシェラを見ながら、
もう高齢で寿命だから仕方がない自然にまかせるしかないと、
苦しんでいるのを見て何もせずにいられるほど俺たちは強くはなかった。
そして、突然死とか老衰で亡くなっていく犬というのはたぶん、
いくつものパターンがあると思うが、
このようなことなのかもしれないなと思った。


妻は泣き続けたおかげで目の異常に気づき、何年も忘れていて検査していなかった眼底検査をしに病院に行った。そしてもう少し遅かったら失明するところだったという事を医師から知らされた。シェラが大好きだった誰よりも甘やかせてくれた妻を助けたのだ、最後に。
旅立ったこの美しい五月は、娘の8歳の誕生日にシェラが我が家にやってきた月だ。そして息子や娘の弟分としてシェラは14年間を共に過ごした。
娘が弟分に言った
「元気でやれよシェラ、また会おうぜ」

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