- 2008年11月 8日 18:59
- カクメモ
地区の文化祭に書を出してくれと毎年言われていて今年も断ることもできずにいた。今年もグダグダとした生活態度だったので出せるものがない。ではと以前書いたものを出す事にし、額を外しにかかると何年か前の「福」という書が残されていて。福と書かれたその団扇を見たときふと故三沢章谷さんの事を思い出した。このアイデアの基になったのは三沢さんが団扇に風という書を書いた事があるからだ。団扇に風とはなかなかどうして粋なもの。で、同じく風と書くわけにはいかない私としては当時「風」→「吹く」→「ふく」→「福」という事になったわけだ。
風といえば、遊墨の会という書道研究の会を仲間と立ち上げていて、事務局として毎年変えるその展示会用の規範を「風」にした年があった。意気盛んな若かりし頃の言葉をどうぞ。
会員各位
私たちは風の国に住んでいます。言葉では伝え切れない気持ちは仕草や眼差しによって届けられ、その時、その仕草や眼差しの体温が移動する瞬間、そこでは静かに風が立ちます。さて、風はふうと発音されるときがあります。なになにふう、つまり「・・・のようだ」「・・・らしい」という意味で使われます。また、風は流れの意味も含んでいます。風、ふう、移動、流れ。それらを考えるとき、なぜか、古来からの「うつし」という言葉とシンクロナイズしてしかたありません。「うつす」は、移す・写す・映すがあります。写すにはまた「模す」とも結びついて「模写」や「模倣」という概念に重なります。
興味深いのは、「写す」も「映す」も、元来は「移す」から転じた概念だということです。「移す」は、物や人のような客観的対象を動かす行為だけでなく、心、つまり気持ちを、ある対象から別の対象に転じる行為をも意味しますが。「移す」には、大切な古代的意味がもうひとつありました。すなわち、古代の人々はこの語を、色や香りを他の物に染み込ませることを「移す」といった染色法に由来する用語法から来たといわれています。
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「移す」という言葉が、物体や人間そのものの移動を意味する言葉から物のエッセンスの浸透を意味する言葉になった時、ひとはいくつもの風を見始めたのかもしれません。
そして、「風」についてもうひとつ伝えておかなければならないことがあります。故三沢章谷さんが病床で「風を思う・・・っていい言葉だろう」とおっしゃっていました。なにかにつけては「風」という書を書いていた三沢さん。三沢さんはその時どんな風を想っていたのでしょうか。今回の展覧会は故三沢章谷さんへの今までのお礼の意味を込めた展覧会にしたいと思います。
「風」「流れ」「移し」。精神のリレーが起こる時そこには「風」が立つはずです。または、「風」が立ったときそこでは精神のリレーが行なわれているということでもあります。さて、時代を越えて先人達から私たちに渡されたバトンにはなにが書かれていたのか。その時どのような風が立っていたのか。その意味で規範として提示した「風」を立たせるのかまたは入れるのかといった作為は書き手が「風」をどのように書との関わりとして観るかで決まるものですから、表現方法は各自の意志に委ねるものとします。「風」が語りかける「気配」そして「仕草」を、感じさせていただきたいと思います。


