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引抜蕎麦

軽井沢町追分は中山道と北国街道の分岐点にあたる追分宿が栄えた場所。江戸-京都-越中-加賀の食文化が交わった唯一の場所と言える。そこではきっと大名や商人たちを通じて蕎麦食の伝播もあったのかもしれない。そして「諸國道中商人鑑中山道善光寺之部」文政10年(1827)という、諸国を旅する人たちのための旅のガイドブックには、追分宿にあるそば屋が何軒か紹介されていて、商人や旅の人々に追分けのそばが人気だったことがうかがえた。ならばそこでは今も脈々と伝統の蕎麦屋がひしめきあっているのだろうと思いつつ訪ねたのはまだ雪深い2月のはじめ。訪ねると浅間山はどかんと美しくそこにあり、遠く浅間山の姿を見かけると「うまい蕎麦が喰えるぞ」と大名や旅人の心が騒いだのかもしれない。気になるのはその商人鑑で紹介されていた伊勢屋善兵衛と林屋久右衛門の今。伊勢屋は追分宿の京口にあり林屋は江戸口にあったはず。残念ながらというか当然のことのように今は跡形もない。現在宿場内の蕎麦屋は二軒。伊勢屋善兵衛の店があった場所のはす向かいに最近はじめたらしい若い蕎麦屋があって、最近始めたっていいやせっかくだからともりを注文して、厨房の蕎麦打ち名人がチラチラこちらを気にしてるのを尻目にそこの美しい看板女将としばし雑談。酒でも注文すればもっと盛り上がったがそこは二人とも分別ある大人だから。もっと知りたかったら追分宿の資料館がすぐそこにあるから行って見るといいですよと教わって資料館へ。資料館には知りたい資料らしきものはなく聞いてもさっぱり的を得た話がでない。蕎麦ですよ蕎麦、なんかこうかつて宿場の人気食だった蕎麦についての資料とかありませんかぁ?そうですかないんですかぁ!そうかないんだねとここで諦めない、そしてコンセプトを見つけるときでもとりあえず現場からなのがワタシの強みというかしつこさなので、資料の一点一点を片っ端から脳味噌がないアタマで細かく読み始めた。やっぱねえのかなぁと、いよいよめんどくさくなりながら読み始めた「加賀御三家御式家様方御宿泊日記」文化9年(1812)の中に左大臣様御泊りという項目で献上物の中に餅と一緒に引抜蕎麦の文字を発見。

hikinuki.gif発見「加賀御三家御式家様方御宿泊日記」
いやあこの時は叫んだぞ。引抜蕎麦だよ引抜蕎麦。引抜蕎麦ってのは献上する蕎麦の事を言う。「番匠作事日記」天正二年(1574)での記述では客に振る舞った蕎麦を「ソハキリ」と言っているのだ。「引抜蕎麦」かあ、それって挽きぐるみの事じゃないのか?当時の技術で一番粉に近かったんだろうかさて。そんな「引抜蕎麦」の記述がある古文書を学芸員も知らずにいたし、というかきっと古文書を展示してあっても読んだ事がないのだろう。それにしても展示パネルの記述年号とひっくり返して見た表紙の年号が違っていたのは何故か?写真をとってもいいですか?と学芸員に聞くと「研究者か学者じゃなければだめだ」と信じられないようなお言葉をおっしゃるし・・・。自慢じゃないが蕎麦のマニアなんてさ百姓には見えてもどうみても学者様には見えない。弱っちゃったなぁ。「ふむ、ワシは植物としてのソバから食物としての蕎麦つまり食文化としての蕎麦までを含めた蕎麦の研究をしている者で地球上の最古の栽培食物であるソバはもしかしたら地球上の最後の食物になるかもしれないという仮説たてながら医学としてのソバの可能性も捨てきれず日々悩んでおる者だ。オッホン」そう言ったら疑り深い目で睨み付けたのでウンチクをひとつふたつ。すると態度がコロリと変わった。

iseya.gifhayasiya.gifおなじみ「諸國道中商人鑑中山道善光寺之部」こんなのをぶら下げながら気ままなスケッチ旅行にでかけたいものだ。

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