- 2006年8月 9日 10:50
- ソバメモ
信濃町の一茶記念館を訪ねた、一茶とそばについては色々みなさん知っているんだし今更と思ってはいたのだが、一茶直筆のものを見たかった。学芸員の方はさすがですね。もう私が「そば...」と言っただけでスラスラと句が出てきちゃうんですね。これは七番日記の中にあるとかこれは八番日記だとか。そこで有名な『おらが春』などを見せていただいた。『おらが春』は「目出度さもちう位なりおらが春」ではじまる文政2年(1819)のもの。この頃長女さとの誕生と死で一茶は人生の絶頂と地獄を味わっていた。三歳で母を亡くした淋しさは「我と来てあそべや親のない雀」など代表句となっているが、親族との軋轢や火事など、苦労尽きない生涯だったらしい。
焼けだされた一茶が終の住処とした土蔵は今も信濃町柏原にあって、この土蔵を眺めていたら近所の人が寄ってきてこういった「四間半四間半って知ってるか?一茶と弟が九間あった家を真ん中に壁を作って遺産分けしたって事だ。」なるほど兄弟の軋轢ってすごかったんだなと思ったが、それでもそうやってまで暮らせるものなのかと時代背景に思いを巡らせた。
(「おのが味噌のみそ臭さをしらず」と前書し)「蕎麦国のたんを切りつつ月見哉」は「手前味噌な話だけれど、おらがそばは日本一と自慢しながら月見するぞ」という一茶らしい句を『おらが春』の中で見つけて写真を撮らせていただいた。一茶の日記の直筆ってものすごく細かい筆文字で丁寧に綴じられ几帳面であった事がうかがい知れた。写真ではわかりにくいがこの七番日記の写真は五ミリ升(実際は升目なんてないけど)に句が整然と書かれていた。五センチ十センチぐらいのノート。実際見ればその小ささと細かさに圧倒する。
「故郷信濃町は霧下そばの産地ですから、あながちこれは手前味噌でもありません。蕎麦時や月の信濃の善光寺。国がらや田にも咲かせるそばの花。など一茶のそばの句はたくさんありますが、「おらがそば」は一茶の不遇な生涯でいつも慰みだったことでしょう...とは我が友リエちゃんの言葉。
オトコの最終目標は「ソバ打ち」らしい。...なるほど。
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