Home > ソバメモ > 定勝寺番匠作時日記

定勝寺番匠作時日記

sakuzu.jpg三年前のこと。「信州蕎麦の源流と伝播そして未来展」を企画するために、なんとかして見たい古文書があった。それは木曽の名刹定勝寺に残されているらしい日本最古のそばきりという文字が書かれた日記。ここは木曽福島から南に下った木曽郡大桑村にある臨済宗妙心寺派の名刹。慶長三年(1588年)に再建された安土桃山様式の総檜造りの伽藍は、国の重要文化財に指定されている見事なもの。平成四年に発見された「番匠作事日記」には天正二年(1574年)に仏殿を修理工事した際「振舞ソハキリ 金永」と記されており、そば切りを振舞った記録が残っていた。これにより、それまで日本最古のそばの記録だった尾張一宮の妙興寺の「蕎麦覚書」(1608年)を「番匠作事日記」(1574年)が更新。そば切り最古の記録が中仙道沿いで相次いで発見されたことは興味深く、定勝寺で豪華な京風の伽藍を作ったことなどからも、山深い木曽のこの地に京文化が盛んに伝播していたことがうかがえ知れた。仏殿修理にそば切りを振る舞ったということは戦国時代からそば切りがハレの食だった証、これだけ流通や食文化が発達した現代でもかわらずハレの食の役目を果たすそばの味は普遍的な美味さといえる。
この古文書にまつわる話をひとつふたつ。

住職に番匠作時日記を見たいのですがと話したところ「実は発見された古文書を平成四年に古文書関係者達が調べているうちに紛失してしまったらしく、私の手元には私が記念に簡単に撮っておいた写真が一枚しかないのです。またこのネガもすでになく途方に暮れています」と言って、見せてくれたのは、もう画像が変色して文字も読めない薄い一枚の写真だった。この事件は新聞にも取り上げられた事がある。そうか、じゃもうこれしかないのかと観念しないところが私のしたたかなところで、とても感じのいい住職だし、紛失した彼らを責めているという感じも受けなかったのでなんとかしたかった。さっそく古文書関係書や県立歴史館を訪ねる日々が続きようやく県立歴史館の資料室の中に数枚の写真が残されているらしい事がわかった。で再び調べにいっても「それはない。倉庫の中を全部探すのは無理」の一点張り。そうこうしながら日は過ぎていくし。何とかならないものかと信州大学名誉教授氏原さんに相談すると「まかせなさい!田中のやっちゃんに話してみるよ」という返事の後折り返し電話があり「明日、歴史館にいけば撮影できるようにしといたから行きなさい」という事だった。あわてて行くとなんと、当時撮影した「番匠作事日記」すべての写真が机の上に広げられていた。必要な部分のみという約束だったがもちろん全てを撮影しましたよ私は。なぜなら住職に全てを渡したかったからな。もともと住職のものを住職に返して何が悪いものか。住職に渡しにいくと、とても喜んでくれた。「歴史館にも行って聞いたんだが、何もないとしか言われなかったのであきらめていた」とのことだった。
これ以外にも、え?と思うこうのような古文書の裏話はある。またいつか話したいと思う。

「振舞ソハキリ 金永」って読めるかな

Comments:0

Comment Form

Trackbacks:0

TrackBack URL for this entry
http://kakutarou.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/14
Listed below are links to weblogs that reference
定勝寺番匠作時日記 from ぶどう棚のすきまから空を見上げて

Home > ソバメモ > 定勝寺番匠作時日記

Links

Return to page top